飛行機に乗り長崎へ
3歳になり、幸子の実家である長崎に行くため、飼っていた金魚をお気に入りの水筒に入れて飛行機に持ち込んだ。
機内ではストロー式の水筒からふーーーっボコボコボコと息を吹きこんでは金魚は息できるかな?苦しくないかな?とずっと心配していた。
遊園地のすぐそばにあるおじいちゃんおばあちゃんちで遊ぶんだと思っていたのに、ついたのは2Kのボロアパート。
3歳の私には広く感じたが、今思えば家具のサイズ感から推測するに四畳半が2部屋と3畳もないキッチンだったように思う。
青い服をきたお兄さん達が荷物をどんどん運び入れてくる。知らないお兄さん達と遊ぶのは楽しくて相手をしてもらってるうちに夜になり、皆帰ってしまって急に寂しくなった。
ここにいたらおじいちゃんもおばあちゃんもお父さんも遊べない。
お父さんはいつ来るの?明日?と、そんなことを聞いたように思う。
薄暗い風呂に幸子と2人で入ると、幸子はタバコに火をつけた。
私と風呂に入りながらタバコを吸うのは幸子の日課なのだが、今までと違う狭い浴室内はとても息苦しく、呼吸ができなくなり溺れたところをひっぱり起こされた。
そして突然幸子が
「お父さんとお母さんどっちが好き?」
と聞いてきたので
「どっちも好きー」
と答える。
「どっちもは選べない。今日からお父さんかお母さんのどっちかとしか暮らせない。2人ともはダメなの。」
3歳の私にはそれは死の宣告のような気がしたのを覚えてる。
「どっちも一緒じゃなきゃやだよぉ。。。お父さんもお母さんも一緒がいい。。。」
泣きながら訴えるも
「お母さんがいいよね?お母さんがいないとご飯食べられないもんね?」
と畳み掛けられ、たしかにご飯食べられないのは困る!と咄嗟に
「お母さんがいい。お母さんと一緒にいる。」
と答えた。
答えてしまった。
幼い私は幸子と暮らすことを選択したことにより、これが本当の死の宣告なるなんて思いもしなかったのだ。
金魚は水筒の中で死んでいた。